放課後の夢十夜 2006年7月20日

                            脚本 : 三重高校演劇部

 

登場人物                        シーン

塩原賢司  ……高校2年生。退学する。         1.補習まで    2

正岡 朗  ……高1・2とケンジの同級生。友人。    2.一日目     7

高浜将啓  ……高2からケンジ・アキラの同級生。    3.第二夜     11

大塚朋子  ……隣のクラスの女子。           4.二日目放課後  12

藤村恵美  ……隣のクラスの女子。           5.第三夜     14

小山正太郎 ……ケンジの担任。             6.三日目放課後  16

                             7.第四・五・六夜 19

                             8.第七夜     21

                             9.七日目放課後  24

                            10.第八・九夜   28

                            11.十日目     30

 

 ある高校の、五人の生徒たちと一人の教師の物語。

 夏休みまであと十日。二年担当の国語教師小山は十日間で夏目漱石の『夢十夜』の特別補習を企画する。特別補習とは自由参加制であり、国語の成績の良い三人が受講予定であった。

 ケンジは小山が担任するクラスの生徒である。両親を亡くしたケンジは、高校を退学することに決める、が、どういうわけか、彼とその友人アキラは、『夢十夜』の補習に参加することになる。

 

 1906年に「自分の書くものは、これから100年経ったら、理解されるようになるかもしれない。」と言った、漱石先生に捧げます。

 

 

《1.補習まで》

 

 音楽の中、ライトオープン。

 そこは国語科資料室。倉庫のような、狭い特別教室である。教室用の机椅子の予備があり、一人の男子生徒が椅子に座っている。ケンジである。また、ひとつだけ事務用椅子があり、それに教師が座っている。ケンジの担任の小山である。

 

小山     どうしても、か。

ケンジ   はい。もう決めたんです。

小山     うーん。でも、それにしても急じゃないか。

ケンジ   仕方ないですよ。親父が死んで、学費払えませんもん。天涯孤独ですから。

小山     だからさ、奨学金とか。

ケンジ   無理ですよ。俺、頭悪いし。

小山     そんなことないだろ。お前、勉強しないだけだから。頑張ればなんとかなるよ。

ケンジ   いや、そういう気分じゃないんです。

小山     辞めてどうするんだよ。

ケンジ   だから、とりあえずバイトして。金貯めたら、アメリカにでも行ってみようかなって。

小山     ……せめてさ、こんな夏休み前の、中途半端な時期じゃなくてさ、どうせなら春まで、高2が終わるまでは、

ケンジ   だから嫌なんですって。……なんか、学校が。いや、別に先生が悪いって分けじゃないんですけど。なんか。

小山     ……なんだよそれ。

ケンジ   うーん……なんか、生きてるって感じが、なんか違うんです。ここに居なきゃいけないことないなぁって思っちゃって。

小山     ……ケンジ。

ケンジ   はい。

小山     生きるってさ、どういうことだよ。

ケンジ   え……?

小山     お前にとって、生きるってどういうことだよ。

ケンジ   ……分かりませんよそんなの。

小山     ……そうか。

 

 間。

 

小山     お前には、辞めて欲しくなかったんだけどな。まあ理由も理由だし、お前の希望なら、聞かない分けにはいかない。仕方ない。

ケンジ   どうもすいません。

小山     一応、ちゃんと書類を作るのに、十日くらいはかかるから。

ケンジ   へえ、結構早いんですね。

小山     ……そうだ。な、お前、補習受けてかないか?

ケンジ   え?

小山     今日から夏休みまで十日間、特別補習やるんだよ。国語の。

ケンジ   古典ですか?

小山     いや、現代文。夏目漱石。お前、前に漱石好きだって。

ケンジ   よく覚えてますね。

小山     まあな。一応国語教師だし。

ケンジ   何やるんですか?

小山     『夢十夜』やろうと思ってる。一日一話ずつ、十日で十夜できる。

ケンジ   ふうん。

小山     どうせ十日くらいかかるんなら、受けないか? その間はうちの生徒なわけだし。……ああ、別に無理にとは言わないけど。

ケンジ   うーん……じゃあ、受けますよ。もう授業受けることもないんだし、折角だから。

小山     そうか。……おう、もうこんな時間か。じゃ、プリントとって来るよ。ここで待っててくれ。(と言いつつ席を立つ)

ケンジ   ここでやるんですか?

小山     ああ。

 

 小山、扉を開ける。扉の前にアキラが立っている。

 

小山     なんだ、アキラか。脅かすなよ。

アキラ   あ、すいません。ケンジ、終わりました?

小山     ああ……ま、話し合いは終わったんだけど。

アキラ   そうですか。(入室する)ケンジ、帰ろうぜ。

ケンジ   あ、悪い。俺、補習受けてくから。

小山     国語の特別補習だよ。掲示板にあるやつ。お前も受けてくか?

アキラ   えー、いや、遠慮しときます。

小山     そうか。ま、自由参加だからな。好きにしろ。

 

 と言って小山出て行く。

 

アキラ   マジかよ、補習なんて。

ケンジ   んーまあ。授業受けるのも最後かなって思って。先帰っててくれよ。

アキラ   ……じゃあ、そうさしてもらうわ。

 

 扉が開く。ケンジ・アキラ振り向く。大塚トモコが立っていて、中を覗く。小山が居ないことを確認する。アキラのテンションがあがる。

 

アキラ       大塚さん!? どうしたの?

トモコ       小山先生は?

ケンジ       今さっき出てった。補習のプリント取りにいってる。

トモコ       ふぅん。あなたたちも、補習受けてくの?

ケンジ       ああ、俺は受けるけど、

アキラ       僕も受けますよ!(ケンジ驚く)

トモコ       そう。じゃ、またあとでね。

 

 トモコ、扉を閉めて戻っていく。

 

ケンジ       なんだよお前、さっき帰るって、

アキラ       分かったぞケンジ、なんでお前がいきなり補習なんて受けるなんて言い出すか! お前、トモコさんも受けること知ってただろ。

ケンジ       なんだよそれ、知らねぇよ。

アキラ       いーーーやお前は知ってた知ってたに決まってるいや何も言うな、分かってる、分かってるぞぉ、トモコさんは狙ってる奴多いからな、学校辞める前に少しでもお近づきにって気持ちはよーーく分かる! いや何も言うな、俺は応援するよ。俺様流応援術その1、ラヴ・サポータァ!

 

 アキラ、ヘンな歌と踊り。

(ラヴは青春定食ー♪ ラヴの大盛りつゆだくー♪)

 扉が開く。マサヒロが立っている。冷ややかな眼。凍るアキラ。しばらくして。

 

マサ     部屋を間違えたか。

ケンジ   小山の補習ならここで合ってるよ。

マサ     お前ら受けんのか?

ケンジ   ま、流れで。

マサ     こりゃ、雨が降るな。

ケンジ   雪かもな。

 

 マサヒロ、中に入って机の傍にかばんを置く。

 

マサ     邪魔だけはするなよ。

 

 マサ、単語帳を開いて読み出す。

 アキラ、ケンジの傍に座って。

 

アキラ       なんでマサヒロが来るんだよー。

ケンジ       別にいいんじゃね?

アキラ       アイツ苦手なんだよー。なんか怖いしさー。頭いいくせにー。

ケンジ       知らねぇよ()

 

 扉が開いて、トモコとメグミが入ってくる。席に着く。

 その後から小山。手には「夢十夜」第一夜のプリント

 

小山           お、アキラ、やっぱり受けんのか?(プリント配り始める)

アキラ       ぁはい! もちろんですよ。

トモコ       先生、これだけですか。

小山           ま、自由参加だしな。こんなもんじゃないかな。

マサヒロ   余計な奴も混ざってるようだし。

アキラ   (カチンと来た)……おいマサヒロ。そんな言い方はないだろ。

 

 間。

 

アキラ   ケンジに謝れよ。

ケンジ   いや、お前もだよ。

マサヒロ むしろお前に言ったんだが。

アキラ   えぇー?

小山     はいはい。マサヒロは言い方がきつい。アキラはきちんと流れを読め。こりゃしっかり現代文を勉強しないとな。えーと、ケンジ、アキラ、マサヒロ、トモコ、メグミ。おいメグミ、起きろ。始めるぞ。

メグミ   現世(うつつよ)は夢、夜の夢こそ真。

小山     江戸川乱歩か。残念だが、今日やるのは夏目漱石だ。

メグミ   分ってますよ。寝てませんって。

小山     そうか。じゃ、始めようか。

 

《2.一日目》

 

小山     さて、この補習では予告どおり、夏目漱石の『夢十夜』という作品を取り上げる。これは一九一〇年、漱石四十三歳の時に発表された短編だ。東大の講師を辞めて、職業作家として歩み始めてまもなくの頃だ。この年、漱石は伊豆の修善寺で大量に吐血する。胃潰瘍だったんだ。その六年後、四十九歳で永眠する。

全部で十話からなるこの短編は、漱石の恋愛観や死生観、日本文化と西洋文化に対する考え方などが色濃く出ていると思う。まぁ、小難しい話は置いとくとして、まずは読んでみよう。プリントを見てくれ。

 

 すっと暗くなる。小山にだけ、トップが残る。他は黒、もしくは色。

 

小山     第一夜。こんな夢を見た。

男(小   腕組をして枕元に坐っていると、(あお)(むき)に寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。女は長い髪を枕に敷いて、輪郭の柔らかな瓜実顔をその中に横たえている。真白な頬の底に温かい血の色がほどよく差して、唇の色は無論赤い。とうてい死にそうには見えない。しかし女は静かな声で、

女(ト   もう死にます。

       と、判然(はっきり)云った。自分も確にこれは死ぬなと思った。

(女に尋ねるように)そうかね、もう死ぬのかね。

       死にますとも。

       女はぱっちりと眼を開けた。大きな潤のある眼で、長い睫(まつげ)に包まれた中は、ただ一面に真黒であった。その真黒な眸の奥に、自分の姿が(あざやか)に浮かんでいる。自分は透き徹るほど深く見えるこの黒眼の色沢(つや)を眺めて、これでも死ぬのかと思った。

(ねんごろに枕のそばへ口を付けるように)死ぬんじゃなかろうね、大丈夫だろうね。

       (やっぱり静かな声で)でも、死ぬんですもの、仕方がないわ。

       (一心に)じゃ、私の顔が見えるかい。

       見えるかいって、そら、そこに、写ってるじゃありませんか。

       女はにこりと笑ってみせた。自分は黙って、顔を枕から離した。腕組みをしながら、どうしても死ぬのかなと思った。

 

 間。しばらくして。

 

       死んだら、埋めて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちて来る星の破片(かけ)墓標(はかじるし)に置いて下さい。そうして墓の傍に待っていて下さい。また逢いに来ますから。

       いつ逢いに来るかね。

       日が出るでしょう。それから日が沈むでしょう。それからまた出るでしょう、そうしてまた沈むでしょう。――赤い日が東から西へ、東から西へと落ちて行くうちに、――あなた、待っていられますか。

       (黙ってうなずく)

       (静かな調子を一段張り上げて、思い切った声で)百年待っていて下さい。

……百年、私の墓の傍に坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから。

       ……待っている。

すると、黒い眸のなかに(あざやか)に見えた自分の姿が、ぼうっと崩れて来た。静かな水が動いて写る影を乱したように、流れ出したと思ったら、女の眼がぱちりと閉じた。長い(まつげ)の間から涙が頬へ垂れた。――もう死んでいた。

 

 明るくなる。

 

小山     とりあえず、ここまで。このあと、男は女に言われたとおりに墓を作って、待ち続けた。昇って沈む赤い日を数えて、数え切れないほどの日を見送った。そしてとうとう、女にだまされたのではないかと思い始めたときに、男の前に茎が伸びてきて、白い百合の花を咲かせた。遠い空を見ると、暁の星がたった一つ瞬いていた。男はその百合の花びらに口づけをして、百年がもう来ていた事に気づくんだ。

アキラ   ほんとに百年待ってたのかよ。この男って、思いっきり暇人だろ。

小山     暇人と来たか。みんなはどう思う?

 

 間。

 

小山     ん? 他の意見はないのか? みんな、男は暇人だと思ってるのか?

マサ     いえ、さすがにそれは違うと思います。

小山     それじゃ、どう思うんだ? マサヒロ。

マサ     ……男が女を待っていたのは、女と約束したからだと思います。

小山     約束を守ったのか。そうも取れるな。トモコは? 男はどうして百年も女を待ち続けたんだと思う?、

トモコ   私は……男の人が女の人を本当に信じていたからだと思います。

小山     何で、そんな風に信じ続けることが出来たと思う?

トモコ   それは、男の人が女の人のことを愛していたから、じゃないですか?

小山     そうか。そうすると今、「男が百年女を待っていた」という部分だけで、3つの解釈が生まれたわけだ。アキラの意見を採用するなら、男は他にすることがないという単純な理由だけで女を待っていた暇人で、マサヒロの意見では、男は何があっても約束を守る義理堅い人物だ。トモコの意見だと、男は、女を信じ続けられるほど、一途に愛していたということになる。どれも、回答者がどういう考え方をしているかをよく表しているな。

アキラ   へぇ〜。

ケンジ   納得するなよ。言っとくけど、俺だったら暇でもそんなことしないぞ。死んだ人間が会いにくるわけないし。

小山     何が正解というわけじゃないんだ。どんな風に考えてもいい。けれど、狭い考えにとらわれているのはもったいないだろ。考え方を広くするのは、文章を読み、新しいものに触れ、そして語り合い、違う考え方に触れることだ。

ケンジ   ふ〜ん。

小山     それじゃあ、改めてこの文章を最初から見ていこうか。「もう死にます」といった女に対し、男は「自分も確(たしか)にこれは死ぬなと思った。」と書かれている。男が女の死をこんなにあっさりと受け入れたのはなぜだ? それじゃあ、メグミ。お前、授業始まってから一言もしゃべってないだろ。

メグミ   ……信仰してたから。

小山     ……もうちょっと分かりやすく言って貰えないか。。

メグミ   ……女は、自分の死でさえ静かに受け入れているような、完全な存在だから、その女の言うことは男にとって絶対だった。ただ、だからこそ男は女に死んでほしくなくて、そのあとに、死ぬんじゃなかろうね、と未練がましく聞きなおしているんじゃないですか?

小山     ……すごいな。ちゃんと分かってるじゃないか。そう、男にとって、この女は絶対の人だった。そのことは、前半の女についての描写を抜き出していくと分かる。先生の特製プリントの枠を埋めてみてくれ。答えは一つじゃない。自分の思うことをとりあえず書いてくれ。しばらくしてから、みんなで意見を交換してみよう。じゃあ、始めてくれ。

 

 溶暗。ME。

 

 

 

《3.第二夜》

 

 ケンジにトップ。

 

ケンジ   第二夜。こんな夢を見た。

侍(ケ   (すっと眼を閉じ)趙州(じょうしゅう)曰く、無。……無とは何だ。糞坊主め。

和尚(小 お前は侍である。侍なら悟れぬはずはなかろう。……そういつまでも悟れぬところをもって見ると、御前は侍ではあるまい。人間の屑じゃ。……ははあ、怒ったな?(呵々と笑う)口惜しければ悟った証拠を持って来い

       怪しからん。

隣の広間の床に据えてある置時計が次の刻を打つまでには、きっと悟って見せる。悟った上で、今夜また入室する。そうして和尚の首と悟りと引替にしてやる。悟らなければ、和尚の命が取れない。どうしても悟らなければならない。自分は侍である。もし悟れなければ自刃する。侍が辱められて、生きている訳には行かない。綺麗に死んでしまう。

 

 ケンジ、ナイフを取り出して、抜く。その切っ先を見つめる。やがて、しまう。

 座りなおす。次第にイライラしてきて、眼は大きく開き、歯噛みし出す。

 

       怪しからん坊主だ。どうしてもあの薬缶を首にしなくてならん。悟ってやる。無だ。

 

 ケンジ、急に顔を叩く。しばらくして、また叩く。

 

       腹が立つ。無念になる。非常に口惜しくなる。涙がほろほろと出る。ひと思に身を(おお)(いわ)の上にぶつけて、骨も肉もめちゃくちゃに砕いてしまいたくなる。

 

 ケンジ、うつむいて、必死でぐっと耐える。しばらく沈黙。

 

       そのうち、頭が変になった。……と云って無はちっとも現前しない。ただ好加減に坐っていたようである。

 

 SE、チーン。はっとして、ポケットのナイフに手をやる。

 SE、チーン。溶暗。

 

 

《4.二日目放課後》

 

 暮れ方。部屋には、ケンジとアキラ。それから、マサヒロの鞄がある。

 

アキラ   今日の話分けわかんねー。結局、侍は最後どうなったの?

ケンジ   うーん。答えは自分で探せって言ってたよな。

アキラ   マサヒロは死んだって言うし、大塚さんは悟ったって言うし、メグミはどうでもいいって言うし……。ケンジは?

ケンジ   うーん……逃げ出したとか? アキラは?

アキラ   俺? 俺かー。俺がその場にいたなら……うん、侍を応援する!

ケンジ   違うだろ。

アキラ   俺様流応援術その2、ネヴァー・ギバップ・サトリ!

 

 アキラ、へんな歌と踊り。動きが異常に大きい。

(悟りの道は〜インド道〜。カレーの風味が刺激的〜Oh!)

 勢い余って、マサヒロの鞄を落として、中身をぶちまけてしまう。

 間。

 

ケンジ   あ〜あ。ま、とりあえず拾わないと……。

アキラ   俺様流応援術その3、応援旗、掲揚!

 

 アキラ、ポケットから白旗を取り出し、パタパタ。

 

ケンジ   白旗振ってないで、手伝えよ。

何だこれ?

 

 文庫本がいくつか。シリーズものが結構あるが、巻数には統一性がない。他にも未開封のはさみ、ガム、クリップなど。レジのテープは貼っていない。

 ケンジは何かに気付く。アキラは気付かずに拾い始める。

 アキラ、ケンジ、散らばった小物を拾い始める。集めた小物はスーパーの袋へ入れる。

 拾い終えたくらいで、マサヒロがやってくる

 

マサ     何やってるんだ!

ケンジ   悪いな、引っ掛けた。

アキラ   悪気はなかったんですよ?

 

 ケンジとアキラ、小物の入ったスーパーの袋をマサヒロに返す。

 

マサヒロ ……。

ケンジ   (その様子に何か感じつつ)じゃ、俺たちそろそろ帰るわ。

ほんと悪かったな。

マサヒロ いや……。

ケンジ   また明日。

 

 ケンジとアキラが下校する。目で追うマサヒロ。自分しかいない、静寂。目をスーパーの袋に戻す。見つめる。荷物をつかむと、ゴミ箱の方を通り、ビニール袋をゴミ箱に捨て、教室を去っていく。

 溶暗。

 

 

 

《5.第三夜》

 

 マサヒロにトップ。

 

マサヒロ 第三夜。こんな夢を見た。

男(マ   六つになる子供を負ってる。たしかに自分の子である。ただ不思議なことにはいつの間にか眼が潰れて、青坊主になっている。

……御前の目はいつ潰れたのかい?

小僧(メ なに昔からさ。

       声は子供の声に相違ないが、言葉つきはまるで大人である。しかも対等だ。

小僧     (しばらくして)田圃へかかったね。

       どうして解る。

小僧     だって鷺が鳴くじゃないか。

 

 ちょっとおいて、SE、鷺の声。二声。

 

       自分は我子ながら少し怖くなった。こんなものを背負っていては、この先どうなるか分らない。どこか打遣ゃる所はなかろうかと向うを見ると、闇の中に大きな森が見えた。あすこならば。

小僧     ふふん()

       何を笑うんだ。

小僧     (答えない。しばらくして)御父さん、重いかい。

       重かあない。

小僧     今に重くなるよ。

       (道に迷っている)

小僧     石が立ってるはずだがな。

       ……なるほど、八寸角の石が腰ほどの高さに立っている。表には左り日ヶ窪、右堀田原とある。闇だのに赤い字が(あきら)かに見えた。赤い字は井守の腹のような色であった。

小僧     左がいいだろう。

       (ちょっと躊躇する)

小僧     遠慮しないでもいい。

       (仕方なしに歩き出す。よく盲目のくせに何でも知っているな。)

小僧     どうも盲目は不自由でいけないね。

       ……だから負ってやるからいいじゃないか。

小僧     負ぶって貰ってすまないが、どうも人に馬鹿にされていけない。親にまで馬鹿にされるからいけない。

       (何だか厭になった。早く森へ行って捨ててしまおうと思って急ぐ。)

小僧     もう少し行くと解る。―(独言のように)ちょうどこんな晩だったな。

       (際どい声で)何が。

小僧     (嘲るように)何がって、知ってるじゃないか。

       すると何だか知ってるような気がし出した。けれども判然とは分らない。ただこんな晩であったように思える。そうしてもう少し行けば分るように思える。分っては大変だから、分らないうちに早く捨ててしまって、安心しなくってはならないように思える。自分はますます足を早めた。

……雨はさっきから降っている。路はだんだん暗くなる。ほとんど夢中である。ただ背中に小さい小僧がくっついて、その小僧が自分の過去、現在、未来をことごとく照らして、寸分の事実も洩らさない鏡のように光っている。しかもそれが自分の子である。そうして盲目である。自分はたまらなくなった。

小僧     (はっきりと)ここだ、ここだ。ちょうどその杉の根の処だ。

       (動けない)

小僧     御父さん、その杉の根の処だったね。

       (思わず)うん、そうだ。

小僧     文化五年辰年だろう。……御前がおれを殺したのは今からちょうど百年前だね。

       自分はこの言葉を聞くや否や、今から百年前文化五年の辰年のこんな闇の晩に、この杉の根で、一人の盲目を殺したと云う自覚が、忽然として頭の中に起った。おれは人殺であったんだなと始めて気がついた途端に、背中の子が急に石地蔵のように重くなった。

 

 サスFO。

 

 

《6.三日目放課後》

 

 マサヒロが帰り支度をしている。扉を開けて、ケンジが入ってくる。

 

ケンジ       マサヒロ。話がある。

 

 と、マサヒロに近づき、鞄からビニール袋を取り出す。

 

ケンジ       お前のだろ。

 

 マサヒロ、答えない。ケンジ、袋を机において開ける。

 

ケンジ      (文庫本をタイトルを読みながら出す)「○○○○」……「○○○○」……「○○○○」……。こういうのも読むんだな。知らなかったよ。とにかく本を燃えるゴミのところに捨てるのはよくないな。

(小物を出しながら)クリップ……はさみ……画鋲……不燃物だ。

マサヒロ   ああ、お前美化委員だったか。次から気をつけるよ。

ケンジ       万引きだろ。

 

 間。

 

ケンジ      文庫本は巻数がばらばら。小物は全部未使用。しかもテープも貼ってない。……なんでこんなしょうもないことすんだよ。

マサヒロ   お前には関係ないだろ。

ケンジ       あるね。

マサヒロ   は?

ケンジ       ……友達だろ。

 

 マサヒロ、驚いた表情。やがて笑う。

 

マサヒロ   なんだそれ(嘲笑) しょぼい理由だな。

ケンジ       しょぼいかよ。

……万引きする奴のほうが、よっぽどしょぼいだろ。

マサヒロ   ……で? チクったのか。

ケンジ       小山に言うつもりはねえよ。

マサヒロ ……俺に説教するつもりか?

ケンジ   俺は、お前に、なんでそんなことやってんだって聞いてんだよ。

マサヒロ ……やりたかったからやっただけ。

ケンジ   ふざけんな。常習犯だろ。

マサヒロ ……お前、馬鹿じゃなかったんだな。でもな、うざい。

ケンジ   そう言って逃げんのかよ。結局、お前も、そういうやつなのかよ。「うざい。」その一言で、全部放棄する。投げ出して、何もなかった振りをする。ただ、逃げてるだけだろ。

マサヒロ ……お前、学校辞めるんだって。

ケンジ   今、関係ねえだろ。

マサヒロ 辞める奴に言われたかないんだよ。お前に、人の生き方どうこう指図されたくない。

 

 間。

 

マサヒロ ……ま、確かに、万引きは犯罪だよ。刑法第235条、窃盗罪。でもな、法なんてものは、所詮道具だ。人間の造ったもんだ。どっかの誰かが勝手にな。それをどう思うかは、思想の自由なんじゃねえの。

ケンジ   盗みが自由って……本気で言ってんのか。

マサヒロ 盗られる方だって悪いだろ。俺だって、防犯のしっかりしてるところでは手を出さない。この世の中、馬鹿は鴨られてもしかたないんだよ。有能な奴だけが生き残るんだ。違うか。

ケンジ   殴っていいか。

マサヒロ 刑法第204条、傷害罪…

 

 ケンジ、マサヒロを殴る。マサヒロ、机の間にがたがたっと倒れる。

 

ケンジ   言い訳すんなよ、格好わりい。

お前はな、小学校の時から知ってるマサヒロってやつはな、そういうの、格好わりいって思う奴なんだよ。とち狂ってんじゃねえって。

マサヒロ 今の俺は…

ケンジ   もういいよ。

 

 間。

 

ケンジ   もう帰ろうぜ。

……殴って悪かったな。

 

 ケンジ、出て行こうとする。

 

マサヒロ いや……。

 

 ケンジ、いなくなる。マサヒロもカバンを持って、ビニール袋も持って、帰る。

 溶暗。

《7.第四・五・六夜》

 

 ケンジにトップ。

 

ケンジ   第四夜。

やがて爺さんは笛をぴたりとやめた。そうして、肩に掛けた箱の口を開けて、手拭の首を、ちょいと(つま)んで、ぽっと放り込んだ。

アキラ   こうしておくと、箱の中で蛇になる。今に見せてやる。今に見せてやる。

ケンジ   そう云いながら、爺さんが真直に歩き出した。柳の下を抜けて、細い路を真直に降りていった。自分は蛇が見たいから、細い道をどこまでも追いて行った。爺さんは時々「今になる」と云ったり、「蛇になる」と云ったりして歩いて行く。しまいには、

アキラ   今になる、蛇になる、

きっとなる、笛が鳴る、

ケンジ   と唄いながら、とうとう河の岸へ出た。橋も舟もないから、ここで休んで箱の中の蛇を見せるだろうと思っていると、爺さんはざぶざぶ河の中へ這入り出した。始めは膝くらいの深さであったが、だんだん腰から、胸の方まで水に浸って見えなくなる。それでも爺さんは、

アキラ   深くなる、夜になる、真直になる

ケンジ   と唄いながら、どこまでも真直に歩いて行った。そうして髯も顔も頭も頭巾もまるで見えなくなってしまった。

 自分は爺さんが向岸へ上がった時に、蛇を見せるだろうと思って、蘆の鳴る所に立って、たった一人いつまでも待っていた。けれども爺さんは、とうとう上がって来なかった。

 

 トップ、クロスフェード。トモコが浮かび上がる。

 

トモコ   第五夜。こんな夢を見た。

女は、裏の楢の木に繋いである、白い馬を引き出した。(たてがみ)を三度撫でて高い背にひらりと飛び乗った。鞍もない(あぶみ)もない裸馬であった。長く白い足で、太腹を蹴ると、馬はいっさんに駆け出した。誰かが篝りを継ぎ足したので、遠くの空が薄明るく見える。馬はこの明るいものを目懸けて闇の中を飛んで来る。鼻から火の柱のような息を二本出して飛んで来る。それでも女は細い足でしきりなしに馬の腹を蹴っている。馬は蹄の音が宙で鳴るほど早く飛んで来る。女の髪は吹流しのように闇の中に尾を曳いた。それでもまだ篝のある所まで来られない。

すると真闇(まっくら)な道の傍で、たちまちこけこっこうという鶏の声がした。女は身を(そら)(ざま)に、両手に握った手綱をうんと控えた。馬は前足の蹄を堅い岩の上に発矢(はっし)と刻み込んだ。

こけこっこうと鶏がまた一声鳴いた。

女はあっと云って、()めた手綱を一度に緩めた。馬は諸膝を折る。乗った人と共に真向(まとも)へ前へのめった。岩の下は深い淵であった。

蹄の跡はいまだ岩の上に残っている。鶏の鳴く真似をしたものは天探女(あまのじゃく)である。この蹄の痕の岩に刻みつけられている間、天探女は自分の(かたき)である。

 

 トップ、クロスフェード。マサヒロが浮かび上がる。

 

マサヒロ 第六夜。

運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいるという評判だから、散歩ながら行って見ると、自分より先にもう大勢集まって、しきりに下馬評をやっていた。

一人の若い男が、自分の方を振り向いて、こう云った。

若い男(ト         さすがは運慶だな。眼中に我々なしだ。天下の英雄はただ仁王と我れとあるのみと云う態度だ。天晴れだ。

マサヒロ 自分はこの言葉を面白いと思った。それでちょっと若い男の方を見ると、

若い男   あの(のみ)と槌の使い方を見たまえ。大自在の妙境に達している。

マサヒロ (独言のように)よくああ無造作に鑿を使って、思うような眉(まみえ)や鼻ができるものだな。

若い男   なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あのとおりの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない。

マサヒロ 自分はこの時初めて彫刻とはそんなものかと思い出した。はたしてそうなら誰にでもできる事だと思い出した。それで急に自分も仁王が彫ってみたくなったから見物をやめてさっそく(うち)へ帰った。

自分は一番大きい薪を選んで、勢い良く彫り始めて見たが、不幸にして、仁王は見当たらなかった。その次のにも運悪く掘り当てる事ができなかった。三番目のにも仁王はいなかった。自分は積んである薪を片っ端から彫って見たが、どれもこれも仁王を(かく)しているのはなかった。ついに明治の木にはとうてい仁王は埋まっていないものだと悟った。

それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ分かった。

 

 

《8.第七夜》

 

 すべての生徒が席についている。小山がプリントを持って入ってくる。

 

小山     さあ、これが今日の分だ。(プリントを配る)

今からやる第七夜は、漱石の人生観……というか、自殺についての考え方が現れている。一九〇三年、漱石はロンドンから帰国後、第一高等学校の講師になる。超エリート校だ。そこに藤村操という生徒がいたんだが、ある日、栃木県の華厳の滝で自殺してしまう。以前に漱石は、藤村が英語の予習をしてこなかったために叱責したことがある。その直後に藤村が自殺してしまったため、漱石はそれを気に病み、神経衰弱の一因になったと言われているんだ。じゃあこれを……メグミ、読んでくれるか。

メグミ   遠慮します。

小山     そんなこと言うなよ。

メグミ   第七夜、あまり好きじゃない。

小山     まあそう言わずに。メグミに読んでもらいたいんだよ。

 

 メグミ、渋々了承する。溶暗。

 メグミにトップ。

 

メグミ   第七夜。なんでも大きな船に乗っている。

         この船が毎日毎夜すこしの絶間なく(けぶり)を吐いて浪を切って進んで行く。凄まじい音である。けれどもどこへ行くんだか分らない。ただ波の底から焼火箸のような太陽が出る。それが高い帆柱の真上まで来てしばらくかかっているかと思うと、いつの間にか大きな船を追い越して、先へ行ってしまう。そうして、しまいには焼火箸のようにじゅっといってまた波の底に沈んで行く。そのたんびに蒼い波が遠くの向うで、蘇枋(すおう)の色に沸き返る。すると船は凄まじい音を立ててその跡を追っかけて行く。けれども決して追いつかない。

この船は西へ行くんですか。

船の男(マ         (しばらくして)なぜ。

自分     落ちて行く日を追いかけるようだから。

船の男はからからと笑った。そうして向うの方へ行ってしまった。

男(ケ   西へ行く日の、

男(ア   果は東か。

男(マ   それは本真(ほんま)か。

男(ケ   東出る日の、

男(ア   御里は西か。

男(マ   それも本真か。

三人     身は波の上。かぢ枕。流せ流せ。

 

 三人、めいめいに「流せ」「流せ」と言い合う。やがてFO。

 

自分     自分は大変心細くなった。いつ陸へ上がれる事か分らない。そうしてどこへ行くのだか知れない。ただ黒い(けぶり)を吐いて波を切って行く事だけはたしかである。その波はすこぶる広いものであった。際限もなく蒼く見える。時には紫にもなった。ただ船の動く周囲(まわり)だけはいつでも真白に泡を吹いていた。自分は大変心細かった。こんな船にいるよりいっそ身を投げて死んでしまおうかと思った。

 

とうとう死ぬ事に決心した。それである晩、あたりに人のいない時分、思い切って海の中へ飛び込んだ。ところが―自分の足が甲板を離れて、船と縁が切れたその刹那に、急に命が惜しくなった。心の底からよせばよかったと思った。けれども、もう遅い。自分は厭でも応でも海の中へ這入らなければならない。ただ大変高くできていた船と見えて、体は船を離れたけれども、足は容易に水に着かない。しかし捕まえるものがないから、しだいにしだいに水に近づいて来る。いくら足を縮めても近づいて来る。水の色は黒かった。

そのうち船は例の通り黒い煙を吐いて、通り過ぎてしまった。自分はどこへ行くんだか判らない船でも、やっぱり乗っている方がよかったと始めて悟りながら、しかもその悟りを利用することができずに、無限の後悔と恐怖とを抱いて黒い波の方へ静かに落ちていった。

 

 溶暗。波の音だかMEだか。

 

《9.七日目放課後》

 

 明るくなる。補習後の風景。

 

小山     じゃあこれで、第七夜は終わり。また明日な。

トモコ   ありがとうございました。

 

 トモコの声に続いて、ぱらぱらと「ありがとうございました。」

 メグミ、寝なおす。

 マサヒロ、無駄なことはせず、さっさと出て行く。

 ケンジとアキラはだらだらと(しょうもないことでもしながら)片付けている。

 小山も出て行くが、

 

小山     トモコ。後でちょっと来てくれ。

トモコ   はい。

 

 片付けてから、トモコも出て行く。ケンジ・アキラ・メグミが残っている。

 

アキラ   何? 今の。

メグミ   文芸部でしょ。トモコ部長で、小山先生顧問だし。文化祭かなんかじゃないの。

アキラ   へぇ〜、そうなんだ。トモコさんの新たな一面発見☆ (時計見て)あ、ケンジ、先帰るわ。今日は弟たちに飯作らないと。

ケンジ   ああ……大変だな。

アキラ   まあな。じゃ、お先。

 

 アキラ出て行く。

 ケンジも帰ろうとして。

 

メグミ   ねえ。

 

 不信そうに足を止めるケンジ。

 

メグミ   あんた、ナイフ、持ってんでしょ。

ケンジ   ……。

メグミ   見せて。

ケンジ   ……。

メグミ   なんで知ってんのかって顔してる。見たのよ、前に。

ケンジ   ……(手をポケットに差し込み)こんなもん見たいなんて、物好きなやつだな。(差し出す)

メグミ   持ち歩いてる人間に言われたくない。(受け取る)

 

 メグミ、目の前でゆっくりケースを横に抜く(または刃を出す)。

 

メグミ   藤村操……。

ケンジ   えっ?

メグミ   今日の授業で出てきた、漱石の生徒。藤村操。彼は華厳の滝に飛び込む前に、滝の近くの木に、こう書き残した。

巌頭之感(がんとうのかん)

悠々なる哉天襄(てんじょう)、遼々なる哉古今(ここん)

五尺の小躯(しょうく)を以て(この)(だい)をはからむとす、

ホレーショの哲学

(つひ)何等(なんら)のオーソリチィーを値するものぞ、

万有の真相は唯一(ただいち)(げん)にして(つく)す、 曰く「不可解」……

我この(うらみ)(いだ)いて煩悶(はんもん) (つひ)に死を決す。

既に厳頭(がんとう)に立つに及んで、胸中何等(なんら)の不安あるなし、

始めて知る、大いなる悲観は大いなる楽観に一致するを。

 

 メグミ、ナイフで左手首を切る。血が流れる。

 血の流れる様を凝視するメグミ。それを見ていたケンジ、

 

ケンジ   (ぼうっと見ていた状態から、気づいて)……おいッ!

 

 ケンジ、メグミに飛びつきナイフを取り返す。

 取られたメグミは、ケンジのすることに興味などないように、傷を見つめている。

 

ケンジ   何やってんだよ!

メグミ   何って?

ケンジ   これ……。

 

 ケンジ、ナイフについたメグミの血に改めて気づいて、ハンカチかなんかで拭う。

 

メグミ   た い し た こ と な い ……。

ケンジ   死のうとすんじゃねえよ!

メグミ   死なない。こんなんじゃ。

本当に死にたい人間はね。飛び込むんだよ。ここではない、向うの世界へ。その蛮勇がある人間だけが、向う側へ届く。堕ちてしまう。この行為は、痛みを感じたいだけ。生きていることを、放棄する気になって、浄化する、ただそれだけの行為。幼い、純粋な、どうしようもないやり方。

ケンジ   なんでわざわざ……。

メグミ   さあ。やってみようか、と思っただけ。あんたの刃がいびつに光ってて、美しかったから。あたしの血で汚してしまったのは、悪かったけど。

ケンジ   ……。

メグミ   あんたは、なんで、そんなもん持ってんの?

ケンジ   ……護身用だよ。

メグミ   嘘。いや、あんたはそう思い込もうとしてるだけ。深く考えずに。ただ、力を持っているつもりになりたいだけ。いつでも刺せるんだぞ、って。

ケンジ   うるせぇよ。

 

 ケンジのナイフを持つ手に力が入る。

 

メグミ   刺せるの?

それがあんたの生き方なんだ?

 

 ケンジ、持っているナイフをゴミ箱まで行って叩き入れる。

 

メグミ   何やってんの。

ケンジ   ……なんとなく持ち始めてから、手放すタイミングがなかっただけだよ。

メグミ   勇気がなかっただけ。

ケンジ   ……当たってるよ。

 

 メグミ、椅子に座る。少し左手をかばう。

 

ケンジ   っていうかお前、痛くないのか。

メグミ   ……うーん……割りと痛い。

ケンジ   おいおい! ……なんか持ってくるから。

メグミ   包帯……。

ケンジ   どっかのクラブハウスにあるだろ、救急箱。盗ってくる。

メグミ   結構気が小さい。

ケンジ   うるさい。

 

 ケンジ、出ていく。その背中に。

 

メグミ   礼は言わない。

ケンジ   (去りながら)ホント性格悪いな!

 

 メグミ、うっすら笑う。

 溶暗。

 

 

《10.第八・九夜》

 

 アキラにトップ。

 

アキラ   第八夜。

床屋の敷居を(また)いだら、白い着物を着てかたまっていた三四人が、一度に

マ・ケ・ト・メ     いらっしゃい。

アキラ   と云った。

白い着物を着た大きな男が、自分の後ろへ来て、鋏と櫛を持って自分の頭を眺め出した。

(薄い髯を(ひね)って、)どうだろう、物になるだろうか。

白い男は,何にも云わずに手に持った琥珀色の櫛で軽く自分の頭を叩いた。

さあ、頭もだが、どうだろう、物になるだろうか。

 

 ちゃきちゃきと鋏を鳴らす音。しばらくして。

 

マサヒロ 旦那は表の金魚売りを御覧なすったか。

アキラ   ……見ない。

 

 鋏の音、FO。

 

アキラ   代を払って表へ出ると、門口の左側に、小判なりの桶が五つばかり並べてあって、その中に赤い金魚や、斑入(ふいり)の金魚や、痩せた金魚や、(ふと)った金魚がたくさん入れてあった。そうして金魚売がその後ろにいた。金魚売は自分の前に並べた金魚を見つめたまま、頬杖を突いて、じっとしている。騒がしい往来の活動にはほとんど心を留めていない。自分はしばらく立ってこの金魚売を眺めていた。けれども自分が眺めている間、金魚売はちっとも動かなかった。

 

 トップ、クロスフェード。ケンジが浮かび上がる。

 

ケンジ   第九夜。

世の中が何となくざわつき始めた。

家には若い母と三つになる子供がいる。父はどこかへ行った。

夜になって、四隣(あたり)が静まると、母は帯を締め直して、(さめ)(ざや)の短刀を帯の間へ差して、子供を細帯で背中へ背負(しょ)って、そっと(くぐ)りから出て行く。

八幡宮(はちまんぐう)という額が懸かっている。

母はまず鈴を鳴らしておいて、すぐにしゃがんで拍手を打つ。それから母は、一心不乱に夫の無事を祈る。母の考えでは、夫は侍であるから、弓矢の神の八幡へ、こうやって是非ない願をかけたら、よもや聴かれぬ道理はなかろうと一図に思いつめている。

一通り夫の身の上を祈ってしまうと、今度は細帯を解いて、背中の子を摺りおろすように、背中から前へ廻して、両手に抱きながら拝殿を上って行って、

母(ト   好い子だから、少しの()、待っておいでよ。

ケンジ   ときっと自分の頬を子供の頬へ摺りつける。そうして細帯を長くして、子供を縛っておいて、その片端を欄干に(くく)りつける。それから段々を下りて来て二十間の敷石を往ったり来たり御百度を踏む。

こういう風に、幾晩となく母が気を揉んで、夜の目も寝ずに心配していた父は、とくの昔に浪士のために殺されていたのである。

こんな悲い話を、夢の中で母から聞いた。

 

 溶暗。

 

 

《11.第十夜》

 

 明るくなる。ケンジ、マサヒロ、メグミ、トモコが席についている。

 マサヒロは単語帳。メグミは突っ伏し、トモコは本を読んでいる。ケンジはプリントを見ている。(講義前にあらかじめ第十夜のプリントが小山の席に置いてあるシステム)

 アキラが入ってくる。

 

アキラ   すいませーん、遅れましたー。

 

 アキラ、先生がいないことに気づく。ケンジがアキラにプリントを渡す。

 

アキラ   あれ、小山先生は?

ケンジ   まだ。

アキラ   今日は最終日でしょ。第十夜。先生なにやってんの?

ケンジ   さあ。

 

 アキラ、席に着く。ケンジ、第十夜のプリントに眼を戻す。アキラは手持ち無沙汰(トモコが気になってはいる。)……沈黙。

 いづらい空気の後、小山が入ってくる。

 

小山     待たせたな。

 

 自分の所定の席に移動。

 

小山     さて、今日で特別補習は十日目、最終日です。漱石の夢十夜の最終話、第十夜をするところなんだが……。ごめん、みんなに謝らなきゃいけないことがある。実は……俺はもう、授業をすることが出来ないんだ。だからもう補習は終わり、解散とします。

 

 ケンジ・アキラ、驚いている。マサヒロは怪訝な顔。メグミは無表情だが、この謎への期待をもっているかもしれない。トモコは目を伏せている。

 

ケンジ   どういうことですか?

アキラ   分けわかりませんよ。

マサヒロ ここまで来てやらないなんて、無責任じゃないですか?

小山     ……君らの言うことは、もっともだ。本当に申し訳ないと思っている。

マサヒロ ……理由を教えてください。

 

 間。

 

小山     俺は、教師を辞めることになったんだ。辞表も出して、先程受理してもらった。夏休みが終われば、新しい先生が来る。

アキラ   じゃあ僕らの担任も辞めるってことじゃないですか! どうして辞めるんですか?

小山     それは……俺は教師ではなくなってしまったからだよ。勿論、肩書きの上ではまだ教師なんだが……教壇に立つ事を、自分で許せなくなってしまったんだ。(男子が何か言おうとする直前に)個人的な理由なんだ。申し訳ない。

マサヒロ 納得いきません。ちゃんと説明してください。

小山     ……。

ケンジ   小山先生。第十夜、やりましょう。別に先生が教師であろうがなかろうが、どっちだって構いません。自習って形でも。それにここは国語科資料室。教壇なんてありませんから。

やってくださいよ。

トモコ   ……そうね。先生、やりましょう。

 

 間。

 

小山     分かった。終わってから、全てを話そう。

 

ケンジ   第十夜。

庄太郎が女に(さら)われてから七日目の晩にふらりと帰って来て、急に熱が出てどっと、床に就いていると云って、健さんが知らせに来た。

庄さん、どこへ行っていたんだい?

 

 溶暗。小山にトップ。

 

小山     ……電車へ乗って、山へ行ったんだ。

……何でもよほど長い電車に違いない。電車を下りるとすぐ原へ出た。非常に広い原で、どこを見廻しても青い草ばかり生えていた。女といっしょに草の上を歩いていると、急に絶壁(きりぎし)天辺(てっぺん)へ出た。

トモコ   ここから飛び込んで御覧なさい。

ケンジ   底を覗いて見ると、切岸は見えるが底は見えない。

小山     申し訳ありませんが、ここから飛び込むというのは……。

トモコ   もし思い切って飛び込まなければ、豚に舐められますが好うござんすか。

ケンジ   庄太郎は豚と雲右衛門が大嫌(だいきらい)だった。けれども命には()えられないと思って、やっぱり飛ぶのを見合わせていた。

小山     ところへ豚が一匹、鼻を鳴らして来た。俺は仕方なしに、持っていた檳榔樹(びんろうじゅ)洋杖(ステッキ)で、豚の鼻面を()った。(杖の代わりを振るう)豚はぐうと云いながら、ころりと引っ繰り返って、絶壁の下へ落ちていった。ほっと一と息()いでいるとまた一匹の豚が大きな鼻を俺に擦りつけに来た。やむをえずまた洋杖を振り上げた。(杖の代わりを振るう)豚はぐうと鳴いてまた真逆様に穴の底へ転げ込んだ。するとまた一匹あらわれた。

ケンジ   この時庄太郎はふと気がついて、向うを見ると、(はるか)の青草原の尽きる(あたり)から幾万匹か数え切れぬ豚が、群れをなして一直線に、この絶壁の上に立っている庄太郎を目懸けて鼻を鳴らしてくる。

 

 小山、杖をふるいつづける。

 

ケンジ   庄太郎は必死の勇をふるって、豚の鼻面を七日六晩叩いた。けれども、とうとう精根が尽きて、手が蒟蒻のように弱って、しまいに豚に舐められてしまった。そうして絶壁の上に倒れた。

庄太郎は助かるまい。

 

 照明がゆっくりと明るくなる。

 

小山     俺は、教師だった。大変な仕事だ、実力だってまだまだだ。給料だって決して好い分けじゃない、けれどもこの仕事に誇りを持っていた。この世界のために……と云うと少々うそ臭いかもしれないが、何かの役に立ちたかった。そのために頑張っていた。

しかしあるとき、自分が教師であることが許せなくなった。教師にあるまじき思いを抱いてしまったんだ。

俺はその気持ちを、できるだけ無かったことにしようと必死で抑え、やってきた。

教師を辞めてしまえば、自分の気持ちを理性で抑えつける必要は無くなる。だけど俺には、職を辞することが、どうしてもできなかった。怖かったんだ。

しかし先日、ようやく自分の気持ちに決着をつけることが出来た。そして、辞めることにした。

俺は……第十夜の庄太郎だったんだ。絶壁から飛び下りる勇気もなく、かといって夜になれば、苦しく豚を叩き続けるような毎日。……だけど俺は、絶壁から飛び下りることにしたんだ。

 

ケンジ   先生が抱いた、教師にあるまじき思いって……何ですか?

 

小山     好きになってしまったんだ。生徒を。

 

小山     ケンジ。学校を辞めなければいけないお前より、先に辞めることになって済まない。本当に……ごめん。

 

 小山、きっちり90度の礼をする。

 

小山           みんな、今まで、どうもありがとう。

最後の最後に、やってみたかった、漱石の特別補習が出来た。

もう思い残すことはない。

アキラ       辞めて、どうするんですか?

小山           小学生の塾でもやりながら、大学院に行こうと思ってる。

 

 間。

 

小山           元気でな。

 

 小山、出て行く。

 去り際のその背中に。

 

トモコ       (急に立ち上がって)先生!

あと二年……(頭を振って)一年半。

卒業したら、会いに行きます。

だから、待っていて下さい!

 

 小山、哀しげに微笑んで。

 

小山           百年、待っている。

 

 小山、去る。

 

 沈黙の空間。

 

 やがて、トモコが荷物を掴んで走り去っていく。

 

マサヒロ 十日前の俺なら、莫迦だ、と思ったろう。でも……仕方ないな。

 

 マサヒロ、去る。

 

メグミ   トモコと小山先生のこと、告げ口した奴がいるんだ。そいつは天探女(あまのじゃく)だ。蹄の痕の岩に刻みつけられている間、天探女は、自分の敵だ。

 

 メグミ、去る。

 アキラ、落ち込んでいる。泣いているかもしれない。

 

アキラ   トモコさんだったのかぁ……。ケンジ、残念だったなぁ、トモコさん……。気を落とすなよ……。ごめんケンジ、俺帰るわ、また明日な。

 

 アキラ、去る。独り残されるケンジ。

 

ケンジ   明日から、夏休みだろ。

 

 間。色々な思い。

 

ケンジ   なんだよ。

生きるって。

 

間。

 

 今までならなかった、風鈴がなる。

 ケンジ、はっとする。

 風鈴がもう一度なる。

 EDテーマ.高まる。

 

 

〈 幕 〉